スーパーKのつぶやきのその後 〜K子のつぶやき〜
スーパーKさんは、 6月15日に97歳の人生に幕を降ろし、結を後に黄泉の国へと旅立って行きました。
彼女が去って1カ月近くが経過し、結では、会議を開き、今回の看取りについて振り返りをし、感想・反省・今後の課題等について、スタッフで意見を出し合いました。看護職ゼロの中、不安も多くありましたが、私たちもスーパーKさんと共にやり遂げました。
5月10日に初めてのブログを挙げてから、わずか8回で『スーパーKのつぶやき』は最終回を迎えることになりましたが、その中にあった、彼女のつぶやきは、スタッフK子が、それよりずっと以前から、書き留め残しておいたものでした。彼女とK子とは、かれこれ10年来のお付き合い。
今回の看取りのまとめとして、今度は、K子のつぶやきをお聞きください。
スーパーKさんへ
最後まで、生きようと頑張っていましたね
きっといっぱい抱えた心残りを解決しようと頑張っていたのでしょう
動けなくなるまで、自分と向き合い、トイレにも頑張って行こうとし、また、ウクレレの会の時も、休みながらでも一生懸命参加し、大きな声で歌ってくれていました
人間の生き様をしっかりと見せてくれたと感謝しています
自分の強い意志で生きていくことはなかなか大変だったことでしょう、思いどおりに行かないことも一杯あったでしょう、戦争に巻き込まれ、台湾からの引き上げなど、並々ならない苦労を、強い意志で乗り切ってきたのでしょう。
元気な頃に、『辛いことや、大変だったことが、一杯あったけど、一生懸命やってきたから、よく頑張ったなと、良い思い出になっているんだよ』と言ってくれたことを思い出します
『いろんなことがあったけど、辛いことばかりだったね』と亡くなる少し前に言っていた事も、本音でしょう
でも、後に残る私たちに、一人の女性の生き様を見せていただいた気がします
少しずつ食欲も落ち、水分も飲みたくなくなり、それでも頑張って立って歩いて、文句を言って、そして側にいる私たちへの心遣いも忘れず、さすが姉御肌のKさんでした、生きようとする気迫は素晴らしかったです
Kさんの意志が何処まで反映されていたかは分かりませんが、強い意志で自分を奮い立たせていたようにみえました
亡くなる前日に、冷たいビールの缶を手のひらに受け、にこっと笑顔を見せてくれたKさん、耳元で大好きだよと声をかけると、腕を伸ばして首を抱いてくれたKさん、赤とんぼの歌を歌うと、唇を動かし一緒に歌ってくれたKさん、最後まで人への気遣いを忘れなかったですね
死を恐れながら、でも少しずつ、『良いことも、悪いこともあったけど良い人生だった』と全てを受け入れられたのでしょう、穏やかなお顔でしたね
本当にいろいろと教えて頂きありがとう御座いました、ゆっくり休んでくださいね
追悼の言葉のようになってしまいましたが、Kさんはほぼ自分の意志を貫いたと思います。息子さんが、医師同士の連携の悪さから、自分の決断(このまま自然に任せる)に不安を感じられてしまった事は残念でしたが、スタッフ達がいろいろとお話をすることで、安心なさった事は良かったと思いました
最後にお部屋で利用者さんたちがお焼香も出来、また短い時間でしたが、最初の入居者である事と、10年という長いお付き合いであった事等、ご家族とスタッフ達とで思い出話が出来、ご家族のご苦労もねぎらえ、本当に良かったと思いました
この10年、Kさんから認知症を抱えて生きる方の辛さや戸惑いを教えてもらいました、
その時の、自分の状態を言葉で表してくれたので、その時々の思いが良く分かり、どの様にその思いを支えるのか考え、とても勉強になりました。
周りにいる人が、認知症をよく理解し、不安感を受け止めることが出来て、そっと支え、安心で安全なのだと感じてもらえれば、不自由であっても、心穏やかに、普通に近い生活が出来るのだと確信しました。そのためには、もっとコミュニケーションのスキルアップをしなくてはいけないのだと反省しています。
会議の前に、自分の意見を管理者さんへ提出しておくことになっていたのですが、K子は、一人、思いの丈を手紙にして来ました
(ビービー泣きながら・・・
、しかも手紙形式
)
でも、恐らく、一番、ずっと、スーパーKさんの言動を真摯に受け止め続けたK子だからこそではないかと思いました。
そして、また、「私たちの仕事って何だろう?」と改めて問われている様です。
しゃっちょからも、『エンディングノート』なる物を活用する宿題が出されているとのこと。
スーパーKさんの旅立った後も、我ら結の介護職のケアの探究の旅は続くのであった・・・
ガラスの下駄@結
彼女が去って1カ月近くが経過し、結では、会議を開き、今回の看取りについて振り返りをし、感想・反省・今後の課題等について、スタッフで意見を出し合いました。看護職ゼロの中、不安も多くありましたが、私たちもスーパーKさんと共にやり遂げました。
5月10日に初めてのブログを挙げてから、わずか8回で『スーパーKのつぶやき』は最終回を迎えることになりましたが、その中にあった、彼女のつぶやきは、スタッフK子が、それよりずっと以前から、書き留め残しておいたものでした。彼女とK子とは、かれこれ10年来のお付き合い。
今回の看取りのまとめとして、今度は、K子のつぶやきをお聞きください。
スーパーKさんへ
最後まで、生きようと頑張っていましたね
きっといっぱい抱えた心残りを解決しようと頑張っていたのでしょう
動けなくなるまで、自分と向き合い、トイレにも頑張って行こうとし、また、ウクレレの会の時も、休みながらでも一生懸命参加し、大きな声で歌ってくれていました
人間の生き様をしっかりと見せてくれたと感謝しています
自分の強い意志で生きていくことはなかなか大変だったことでしょう、思いどおりに行かないことも一杯あったでしょう、戦争に巻き込まれ、台湾からの引き上げなど、並々ならない苦労を、強い意志で乗り切ってきたのでしょう。
元気な頃に、『辛いことや、大変だったことが、一杯あったけど、一生懸命やってきたから、よく頑張ったなと、良い思い出になっているんだよ』と言ってくれたことを思い出します
『いろんなことがあったけど、辛いことばかりだったね』と亡くなる少し前に言っていた事も、本音でしょう
でも、後に残る私たちに、一人の女性の生き様を見せていただいた気がします
少しずつ食欲も落ち、水分も飲みたくなくなり、それでも頑張って立って歩いて、文句を言って、そして側にいる私たちへの心遣いも忘れず、さすが姉御肌のKさんでした、生きようとする気迫は素晴らしかったです
Kさんの意志が何処まで反映されていたかは分かりませんが、強い意志で自分を奮い立たせていたようにみえました
亡くなる前日に、冷たいビールの缶を手のひらに受け、にこっと笑顔を見せてくれたKさん、耳元で大好きだよと声をかけると、腕を伸ばして首を抱いてくれたKさん、赤とんぼの歌を歌うと、唇を動かし一緒に歌ってくれたKさん、最後まで人への気遣いを忘れなかったですね
死を恐れながら、でも少しずつ、『良いことも、悪いこともあったけど良い人生だった』と全てを受け入れられたのでしょう、穏やかなお顔でしたね
本当にいろいろと教えて頂きありがとう御座いました、ゆっくり休んでくださいね
追悼の言葉のようになってしまいましたが、Kさんはほぼ自分の意志を貫いたと思います。息子さんが、医師同士の連携の悪さから、自分の決断(このまま自然に任せる)に不安を感じられてしまった事は残念でしたが、スタッフ達がいろいろとお話をすることで、安心なさった事は良かったと思いました
最後にお部屋で利用者さんたちがお焼香も出来、また短い時間でしたが、最初の入居者である事と、10年という長いお付き合いであった事等、ご家族とスタッフ達とで思い出話が出来、ご家族のご苦労もねぎらえ、本当に良かったと思いました
この10年、Kさんから認知症を抱えて生きる方の辛さや戸惑いを教えてもらいました、
その時の、自分の状態を言葉で表してくれたので、その時々の思いが良く分かり、どの様にその思いを支えるのか考え、とても勉強になりました。
周りにいる人が、認知症をよく理解し、不安感を受け止めることが出来て、そっと支え、安心で安全なのだと感じてもらえれば、不自由であっても、心穏やかに、普通に近い生活が出来るのだと確信しました。そのためには、もっとコミュニケーションのスキルアップをしなくてはいけないのだと反省しています。
会議の前に、自分の意見を管理者さんへ提出しておくことになっていたのですが、K子は、一人、思いの丈を手紙にして来ました



でも、恐らく、一番、ずっと、スーパーKさんの言動を真摯に受け止め続けたK子だからこそではないかと思いました。
そして、また、「私たちの仕事って何だろう?」と改めて問われている様です。
しゃっちょからも、『エンディングノート』なる物を活用する宿題が出されているとのこと。
スーパーKさんの旅立った後も、我ら結の介護職のケアの探究の旅は続くのであった・・・
ガラスの下駄@結